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トコトコトントン トコトコトン(その1)
Vol.12

 だいぶ遡る話だが、97年の夏は本当に忙しかった。楽譜の出版と、9月に迫ったコンサートの準備に、神経を擦り減らす毎日が続き、一回どこかで小休止をしないと、細っぴいのわりに体力はあると自負していた私も、最後までもたない感じになっていた。そんな折、たまたま箱根に、一泊旅行に出掛けるチャンスに恵まれた。


 箱根といえば、何と言っても温泉である。何はともあれ、いそいそと大浴場へ。あまり混んでいない事を願ったが、女湯の入り口にはスリッパが散乱、かたや男湯の入り口の、青いのれんの下には、きちんと揃えられた一組のスリッパがチラと見えた。

 立ち上る湯気と、硫黄の匂い。あまり広いとは言えない浴場はごったがえしていたが、さあ、湯船に入ろうという頃には、さっきの賑わいがウソのように、皆出て行ってしまい、私一人だけになった。「ラッキー!」すぐさまズブズブと体を湯船に沈める。少し熱めの、けれど体の芯から疲れを取ってくれる湯が何とも心地良い。プシュウ・・・

 と、思った瞬間、けたたましい泣き声が聞こえた。隣の男湯からだ。どうも2,3歳の男児が、お父さんらしき人と一緒にいるらしい。しきりになだめようとする若い男の人の声と、むずかる子供の声が飛び交う。何となく落ち着かなくなった。なにしろ、勢いのついたその泣き声は、天井に当ってわんわんと響き、女湯の方に落っこちて来る感じなのだ。


 「ウーン・・・」湯船の中で密かに我慢していると、突然、「トコトコトントン、トコトコトン」という、軽やかなリズムが聞こえて来た。「ん?なに?!」いいリズムだ。間もなく私には見当がついた。お父さんが、プラスチックの風呂桶をひっくり返して、太鼓のようにして叩いているに違いない。(目撃していないので真実はいまだ不明。)すると、子供は突然ピタリと泣くのを止めて、今度は機嫌良くキャッキャッと笑い始めた。「トコトコトン」は、実にリズミックで、このお父さん、もしかして打楽器奏者?とさえ思った。
 「お前もやってみるかい?ほーらトントンって面白いだろ!」今度は子供にもやらせて、
 「トントントン」
 「そうそう、うまい、うまい!」
 誉められて子供は「あはは」と笑い声を上げ、上機嫌である。
 「あらあら、この人、なかなかの子育て上手ね!」私は、子供の機嫌が直って、嬉しそうなお父さんの顔を想像しながら、ちょっと愉快な気分になった。

 が、そんな子供は甘いものではない。じきに「トコトコトン」にも飽きた子供は、数分も経たぬうちに、ギャーギャーと、耳をつんざくばかりの声で泣き始めた。            

2004.11.2 岡本由利子

 


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