キエフの大時計
ピアノ小曲集「母(ママ)の情景」より 第3曲

音源 >> キエフの大時計

<「母(ママ)の情景」とは?>
子育てが一段落した40歳過ぎ位の頃、以前からやってみたかった作曲の勉強を始めました。何も無い所から作曲の先生を見つけるのも大変でしたが、漸く見つかり、少しずつ勉強させて頂いて、初めに書いたピアノ曲集とも言えるのがこの「母(ママ)の情景」です。
当時私は三人の子育てに追われており、日々の暮らしの中で感じた事などを中心に、日記を書き留めるように曲を作り、10曲から成る小曲集にまとめました。

<1990年代を振り返って>
今、連日報道されているウクライナ、そしてキエフ。誰がこんな凄まじく酷い事態になるなんて想像したでしょう・・・
私がこの曲を作った1990年代、世界は大きく動いていました。
1990年前後はペレストロイカ、ベルリンの壁崩壊、ソ連はロシアとなり、うねりの様に新しい価値観が、当時東側と言っていた国々に押し寄せていました。
私には子供の頃からソ連は、氷で閉ざされた様に感じていた世界であったので、驚きではあったけれど、開かれて行くという事は前向きにも捉えられ、それは明るい兆しにも感じていました。(そう単純には行かない事がよくよくわかりますが。)

<キエフ&ロシアのバレエを想う>
バレエについて言えば90年代~2000年頃、本当に数多くの来日公演があったと記憶しています。キエフ・バレエ団の「白鳥の湖」の公演を自宅で録画したものがあって、今ではそのビデオ、再生装置も無いのですが、気に入って何度見た事か・・・
サンクトペテルブルグのキーロフ・バレエ団(現・マリインスキー・バレエ団)の来日公演で観た、一糸乱れぬ群舞の力強さと迫力もそれは凄くて忘れられないものでしたけれど、キエフ・バレエ団には、何処かほのぼのとしたものがありました。
ダンサーの背の高さもバラバラだったりでしたけれど、その自由さに何故かホッとするものもあって。私はロシア侵攻の時、一番に頭をよぎったのが、この時のバレエダンサー、皆、生き抜いてくれているかしら・・・という事でした。モスクワのボリショイのダンサーもバレエ団を辞めたとの報道がありましたけど、ただただ悲しいです。
ロシア、ウクライナ、どちらも素晴らしいバレエダンサーの宝庫、どうか芸術の灯を消さないで下さい、と願わずにいられません。


<キエフの大時計 =平和の時を刻む時計=>

本題の「キエフの大時計」については下記全音楽譜より出版されたものを読んで頂けたらと思います。つまりこれは相当昔に、家の壁に貼ってあった世界地図から「キエフ」が目に留まり、そこから全て想像した曲です。日本では「キエフ」はウクライナ語の「キーウ」と呼ぶ事になりました。キーウの街に本当に大時計があるかどうか何も知らないで、この曲を創りました。でも本当にあるとどなたから聞いた事があります。

当時自分で演奏し自宅録音したCDが、これ又7.5㎝のミニ盤でして・・・もはやアタッチメントも売っておらず、漸くインターネットで購入してはめ込みました。それでもエラーを繰り返し、今日やっと昔の演奏を聴く事が出来ました。
いささかテンポが早過ぎ、今、想うイメージと違うのですが、これで良しとしましょう。と言うのも、先日弾いてみたのですが、途中から胸が詰まって弾けなくなってしまいました・・・
平和の「時」を刻むはずの音を、今、こんな形で自分自身が感じる事になるとは思いもよりませんでしたから。いずれ一度訪ねてみたい古き憧れの街なのです。
曲目についても、今、こんなに騒がれて調べてみれば、楽譜が発行された年が1997年なので、もうロシアからウクライナになっていました。確かにソ連崩壊後、幾つかの独立国が出来ていたのできちんと調べるべきでしたね。

キエフの大時計 ~雪降る町の古時計 コチコチ刻む はるかな時を~
<ピアノ小曲集「母(ママ)の情景」第3曲 全音楽譜出版:1997年>


「母の情景」曲目について
恐らく多くの方がそうであるように、私もキエフというロシアの町には実際に行った事はありません。でも、もし家の中のどこかの壁に世界地図が貼ってあったら、想像してみて下さい。キエフがどんな町かを・・・・・・私には見えて来ます。しんしんと降る雪とコートの襟を立てて歩く人々、そして大きな古時計が・・・・・・きっとそこにはゆったりした時間が流れているでしょう。主題はあくまでもたっぷり広がりを持って、中間部の時計の刻む音は雪の中でかすかにコチコチと聞こえる様に、広がりと静寂の対比を意識して弾いて頂けたらなあと思っています。

 

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