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 バレエ「ダーナの泉」 総まとめ N0.3 


 公演についてはただの記録だけでなく、エピソードや、その時に思ったり感じた事も加えて、主に下記3つに分類して書いてみようと思う。

<音楽> <バレエ(前半)(後半)> <プロデュース(前半)(後半)>


<バレエ>

バレエに関しては、自分がバレエに不案内なので、あっさりとまとめようと思ったのだが、知らない世界だけに想いも深かった事に気づいた。それで、今回のバレエで大変お世話になった江藤先生に出会うまでの前半と、出会ってからの後半の2回に渡って書く事にした。

「ダーナの泉→新しいバレエ作品を創る」で、此処に至るまでの経緯には少し触れている。
が、もう一度、その都度、自分の思った事、経験して気づいた事を含め、書き留めておきたいと思う。


<バレエ (前半)>

初めてのバレエ作品

1994年と、もう四半世紀も前になる話だが、私は「ダーナの泉」の前身となる「赤い花」という作品を、友人達の協力を得て発表した。当時まだ出始めたばかりのコンピューターを使ったこの作品は賞を頂く事が出来て、後日、世田谷区教育委員会の担当者から電話が入り、バレエ化される事になった。その担当者は、バレエ関係者やオケとの橋渡しに率先して動いてくれ、一緒になって作品を創り上げようとしてくれた。バレエは、バレエ教室を主宰しているY先生の振付で、その教室の高校生を中心に踊って頂いた。音楽は区の行事に協力しているアマチュア楽団に演奏して頂き、録音を使った。あらすじは今回の「ダーナの泉」とは大きく異なるが、やはり水をテーマにした約20分の作品が出来上がった。
今思えばそれはなかなか味わえない、有難い経験だった。区が主催でその担当者が動けば事は動く、言い換えればお上、力のある人が、お仕着せのお役所仕事としてで無く、熱意を持って動けば、比較的に事はスムースに動くと、この時強く思った。翌年も別のテーマでダンスフェスティバルに参加したが、此処で残念ながらバレエとのご縁は切れてしまう。


別の分野で活動をするも再びバレエへ

それからは合唱曲の作曲、学校での自作ピアノ曲の演奏、その他、娘のミュージカル劇団の仲間で作るユニットと一緒に活動し、作曲、伴奏をしていた。が、それも一区切りついた頃、再びバレエ作品を創りたい想いが強くなった。相当長い年月が経ってはいたが、その間もバレエ音楽はずっと書き続けていた。ただ曲想があっても、そのオーケストレーションにはとても時間を要する。全てはまだ出来上がってはいなかったが、もう時間が無い。バレエ関係者と早く出会い、出来上がっている曲を使って、ともかくもバレエに結び付けたいと思った。


持ち上がったバレエの話

折しも、某児童館での企画でバレエと生演奏の話が持ち上がった。此処で発表出来るかもしれない。児童館の職員さんは乗り気だった。そこで何十年も前の記憶を頼りに、昔のアドレスやら音楽関係者を辿って、やっと、先述のY先生にお会いする事が出来た。先生は私が一つのテーマをずっと続けて来ている事に驚き、喜んで下さって、好意的に「協力したい所なのだけど・・・」と仰った。私にはわかっていた。もうあまりにも長い年月が経ち過ぎていたのだ。会場がバレエを踊るのにはやや無理がある事や、そうこうしているうちに打診していたアマチュアオケにも演奏を断られてしまい、結局、全てが振り出しに戻ってしまった。


方向をいったん音楽に絞って

この事があって、私はバレエ関係者を中心にコンタクトを取ろうとするのは、しばらく止めようと決めた。それは「諦める」という意味では無い。が、「新作」を持って踊って頂けるかを打診するのは、時間もエネルギーも要る事なのだ。そしてまず、それは、ほぼ断られるというもの。もし私が「此処の会場を確保しましたので『白鳥の湖』の何幕のシーンのこの曲とこの曲を、この予算でやって頂きたい。」なら話はきっと早いだろう。全てが見えているのだから。でも私がやりたいのはそういう事ではないのだ。

新しい事を始める時は、どう説明しても、想いを語ってみても「見えない事」を「見える化」して行かなければ、人を説得したり、動かせないものだと常々思う。
では今、自分にとって何が大切かと言えば、それは自分の作っている「ダーナの泉」の作曲に集中し、それを演奏だけでなく録音して形にする事だと考えた。そして音楽の質は核となる部分なので、プロに演奏してもらう事を決めた。

実は先述の通り、数十年前に私はバレエ曲をアマチュア・オケに演奏して頂いた事がある。皆さんとても協力的で、気持ち良く録音までこぎ着けた。プロに比べ演奏がどうのこうのを問題にしているのではない。アマチュアでも見事に演奏する集団はある。
だだ最後の練習日、その中のお一人が私に向かってつぶやいた言葉が忘れられないのだ。
「これは区の行事だから仕方無い。けれど、自分は本当はこういう事をしたくてこの楽団に入った訳じゃないんだよ。やっと来週からベートーベンが練習出来る。」

申し訳ない様な、切ない気持ちになった。アマチュアであるという事は、自由に好きなものを楽しむ権利があって、その大切な時間を不本意な思いで過ごさせていたのかな?と。
でも、先述のお役人の方など、正直バレエは全くわからない様子だったが、創り出す事を楽しみ、奔走して下さっていて、こちらも楽しかった。が、そうでない人だって勿論いる。
大勢の人が関わるミュージカル、オペラ、バレエ・・・人々の思いは様々に渦巻いている。
でも、そんなこんなを、あまりに忖度や気遣いをしていたら何事も動かない。プロに演奏してもらうという意味は、要は仕事として割り切ってやってもらいたい、音楽の水準は確保しつつ、という事だった。


オーケストラ探し

だが、まともにプロのオケに依頼したら、とんでもない金額になる事はわかっていた。
インターネットで調べたが、手の届きそうなオケは、すぐ見つからなかった。ただ、今はゲームやコミックの映像化が盛んな時代、そういう音楽の録音をも、比較的少人数で手掛けているgaQdanという音楽集団があるらしい事がわかり、連絡を取ってみた。時々練習の為に集まっているとの事だったので、練習会場に行き相談、打ち合わせをし、その後録音する事が出来た。


画像付きの音源

次は出来上がった音源をどの様に使うかだ。私はホームページを持っているので、アップする事は考えてはいたが、やはりこれはバレエ作品にする為のものである。画像が欲しい。
実を言うと、私のこのホームページ、自身で全てをやっているのではなく、古くからの友人Sさんのお世話になっている。私はコンピューターが出始めた頃から楽譜作成ソフトを使って作曲して来ているが、確か同じ頃から、彼女はもっと広い意味で、仕事としてコンピューターに関わって来ている。HPでも、色の使い方に品があって私は大好きだ!それで
「この音源をバレエ関係者に、私が何をしたいかわかる様に映像化して欲しい。」
と、無理難題をお願いしたのだ。多分、初めてで大変な事もあったと思うのだが、程なくして、ユーチューブに画像と、シーンの説明をテロップで流した音源をアップしてくれた。


静岡での動き

その頃、静岡の親戚から「もしかしたらバレエの振付に動いて下さる先生がいらっしゃるかもしれない。」という知らせが入った。善は急げ、このチャンスは逃してはならない!
すぐにSさんにDVDを作ってもらい送った。それと同時に静岡で開かれるというバレエ公演も観に行って、とにかくバレエ関係者と何らかの繋がりを持ちたいと必死に動いた。

バレエ団の主宰のM先生は、前向きに動いて下さる感触があり、ともかくも今、音楽を江藤先生に聴いてもらっている、とのお話だった。後日、江藤先生が音楽はいい(まあ行けそうだという意味?!)とのお返事を下さった事で、事は動くかとも思ったのだが、
最終的に本番日とM先生のご都合のバッティングもあり、振付は出来ない、とのお返事だった。
何か目の前で手に届きそうなチャンスがスーッと去って行く思いがして、そのお断りのお電話の中で懸命にお願いしていたのを覚えている。
「わかりました。でもどうか、江藤先生に繋いで頂けないでしょうか?」
お返事は拍子抜けする程、あっという間だった。
「いいですよ。お話しておきます。」

これがターニングポイントとなった。よくアニメで追われている主人公が吊り橋を渡ると、渡るすぐ後ろから板が抜けてあわよくば谷底へ真っ逆さま、というのを面白おかしく描いているシーンがあるが、食い下がる思いで、あの言葉を言わずに諦めたら谷底だった・・・


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