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バレエ「ダーナの泉」 総まとめ N0.6
公演についてはただの記録だけでなく、エピソードや、その時に思ったり感じた事も加えて、主に下記3つに分類して書いてみようと思う。
<音楽> <バレエ(前半)(後半)> <プロデュース(前半)(後半)>
<プロデュース (後半)>
いよいよこれが今回のバレエの総まとめ。自分の企画したバレエについては、もうさんざん色々な角度から述べて来たので、今回は私が感じているバレエ、音楽の現状や問題点、展望など、書いてみようかと思っている。特にバレエに関しては、バレエ関係者の中には「そうは言ってもね・・・それは理想だわね。」と思われる内容も出て来るかもしれない。が、それは私が逆にふだんはバレエ制作には関わらない立場、観客だからこそ自由に感じて言える事かもしれない。内部でなく外部にいるからこそ見えているものもある。自由に書いて行くので気楽に読んで頂きたい。
1クラシック音楽・バレエ ~昔と今~
自分が若い頃に出会い感動したクラシック音楽やバレエ。現代の演奏家やバレエダンサーに感ずる大きな違いは何なのだろうか?何処からそれが来るのか?明らかに現代、技術は昔に比べ各段に高く上手くなっていると思う。でも何かが明らかに異なっている・・・
例えばクラシック音楽― 自分が若い時、この曲をこのピアニストが弾いたらこう感じたが、別のピアニストなら全く違ってもっと華やかだった。でも今の自分の気持ちならこの人の演奏で聴きたい・・・そういう事を追いたくなる程、こだわり、個性の強い演奏家が多かった様な気もする。いや現代だって個性、持ち味は勿論人によって違う。では何が違うのか? もしかしたら時間の流れ、速さの違い、それも多分にあるのかな?と最近感じる・・・テクニックもあり、譜面通りに見事にこなした演奏であっても「心に突き刺さる」と言うより「ただ駆け抜けて、何も残らなかった」・・・という事も多い。つくづく「表現」とは難しいものだと思う。
そんな事を言われても、現代に生きる若者の世代は困るだろう。まるでアナログの紙と鉛筆や、レコードを懐かしむ古い世代の戯言の様に聞こえるかもしれない。
2バレエ黎明期
ただ、バレエが日本にまだあまり知られていない頃、この世界を切り開いた人達は「バレエ」そのものを知ってもらおうと一所懸命だった。やっとバレエスクールが出来たばかりでメソッドも確立していない。バレエを制作するのも手探り、支える音楽も録音技術が進んでいないので生演奏が主流の時代、様々な出来事があったらしい。「バレエの情景」福田一雄(音楽之友社)氏の本から色々なハプニングが読み取れ、申し訳ないが苦笑する事もしばしば。
私より6歳程年上のある知人もこんな事を言っていた。昔、誘われてバレエ公演を観に行ったら「白鳥の湖」の群舞のシーンで、一人がつまずいてドミノ倒しになったとか・・・
当時有名なトップダンサーが、膨大な数のチケットを自ら手売りしていた記事も読んだ事がある。お客様にバレエの素晴らしさを伝える―その事に使命感を持っていたのは元よりだが、まだバレエの生徒さんも少ない時代、「結局は劇場収入」―この事を肌身に感じるからこそ、真剣にまず観客を集める事に奔走していたという事だろう。
そしてその事は全ての舞台芸術の原点でもある。誰かに頼るのではなく、その舞台に関わった誰もがチケットを1枚でも多く売る事を心掛けるべきだ。余程のスポンサーがいない限り、マイナスを承知で出発する世界。それでも描いた夢を届けようとし、又それに応えて足を運んでくれる人達との一瞬の出会い、それが舞台だ。
3上昇志向の輝かしい日々
時は移って行く。バレエを海外から日本へ知らしめ、根付かせてくれた何人もの人々の後を引き継ぎ、次の世代の人達がそれぞれ特色のある自分達のメソッドを更に深め築き上げ、独自のスタイルを確立して行く。そしてそれぞれのスクールを充実させ、後進を育てる。高度経済成長期、やがて国際コンクールにも、輝かしい成績を残すダンサーが次々輩出されて行った。
4バブルは、はじけ・・・そして会場が減って行く!、
やがて輝かしい時代が過ぎ去ると、長い経済の低迷期に陥る。単純な話、お客が劇場にだんだん来なくなるという事態は、一般のあまりバレエに関心の無かった人達が真っ先に抜けて行くという事でもあり、此処が実は相当痛い所だ。おまけにバレエ公演が出来る会場は減って行く。バレエ教室、バレエ団は運営を継続して行く為に様々な知恵を絞っている事と思うが、その多くは厳しい局面に立たされているのが実情だと思う。
① バレエ教室
何かを創り、そしてそれを教え伝える世界には師弟関係、つまり組織と言うものがあって、その組織はそれぞれの生徒さん達、門下生に支えられている。それはお茶、お花、ピアノ、等の世界でも同じだ。例えば何かイヴェントをする時には、金銭面を支え、雑事をこなすマンパワーも必要だが、支えてくれる中心は彼等だ。時には会場探しの様な煩雑な仕事にも出向いてくれる。
子供がバレエの舞台に出演する為には、それなりの会費を集める事になるケースも多いと思うが、ハレの舞台はとかくお金がかかるものだ。もし観に来てくれる人がいるならば、それは親兄弟を始めとする親戚、知人友人等。こうして、生徒や会員のレッスン料や、そうした特別な日の為の会費を集めて会場を借り、年に一度、あるいは数年に一度の発表会の舞台で、日頃の練習の成果を披露する。それが日常の中で繰り返されて行く。
② バレエ団
バレエ団ではどうか? 経営という意味では本当に大変であろうと想像する。先述の発表会の様に親がバックに付いて子供が舞台に立っている訳では無い、むしろ個々のダンサーやスタッフに、公演を立ち上げる度に支払いをしなければならないからである。舞台美術、衣装、音楽、音響、録音・・・どれだけの経費がかかる事か。多くのバレエ団は一般財団法人、公益財団法人等、法人資格を有している。
バレエ団は時にお祭りやイヴェント、グッズ販売、特別レッスンなど、様々な企画を打ち出し、資金を集める。だが、何と言っても劇場収入は命だ。
私はバレエの世界の実情は全く知らないが、ある劇団ではチケットノルマが誰が何枚、何十枚と、厳格に決められていた。頑張って主役級になる程、チケットを多く売らなければならないという、何だか皮肉な話もあるが致し方ない。
ただ、そのレベルの高い、バレエ団独自の持つ個性に魅かれてファンになる人もいるし、特定のダンサーへの熱狂的なファンもいて、こういう人達は、どんな時でも公演に足を運んでくれるから頼もしい限りだ。だが、どうやったらもっと一般の観客を増やせるのか?
③ 会場が減って行く!
現在、都内のバレエスクールやバレエ団の抱える問題は、バレエ公演の出来るホールが減っている事だ。駒場エミナースが2010年、五反田ゆうぽーとは2015年と閉館が相次いだ。
ホール探しは私自身が昨年のバレエ公演でも、真っ先にまず頭を悩ませた問題で、手頃なホールを探すのは本当に大変だった。区のホールの利用料は手頃だが、抽選があり手間がかかる。特に確保したい土日は希望日が当たるかわからない。日と場所が確定しない限り、出演者もスタッフも何も決まらないのだ。
その点、規模や組織の大きな幾つかのバレエ団では、ホームグラウンドの様に使える会場があって、そういう問題は起きないかもしれない。だが、そうは行かないバレエ団にとっては頭の痛い問題だと思う。
5問題点は何処に?
各バレエ団は公演毎に趣向を凝らし、振付を変更したり、新演目に取り組んだりと、工夫を重ねている。だが活気のあった一頃を思い出すにつけ、私には全体的に何処かバレエの世界がこじんまりとしてしまっている感が否めない。ファンだけでなく、もっとそれ以外の人達、世間全体を巻き込んでいたバレエへのあの熱気は何処に行ってしまったのだろう? 世界的に見ても、例えばヌレエフ、パトリック・デュポン、ジョルジュ・ドン、シルヴィ・ギエム、ルジマートフ・・・枚挙にいとまがないが、絶対的とも思える存在感のあるスター達が次々輩出されて、バレエ素人の私だってワクワクと心躍らせたものだ。
結局バレエ熱の冷めなかった自分は、今でもバレエを観に行き続け、バレエ曲まで書いてしまっているが(笑)、せっかく火がついてバレエを一時期夢中で観ていた人達は、ブームが去ると同時に熱も冷め、今ではもう誘いにくくなっている。そういう現象が残念でならない。何故かと言うと、親族、友人知人、固定ファン層の数というものは限られたもので、ある程度数字として事前に読めなくも無いが、一般のあまりバレエに関心の無い人達が動き出せばその数は無限大に延びる可能性があるからだ。
ではどの辺に問題があるのか?
① スター性のあるダンサー&マスコミの力
単純に言えば技術は高くても、スター性のあるダンサーが少なくなって来たという事なのか?・・・でもこれ、マスコミが取り上げ、ブームを作るか? という事も大いに関係している様な気がする。私には今はあちこちの公演を観に行った関係で、DMやメールでバレエ公演の情報が入る。が、昔はもっと新聞やTV等で大変なスターが来日する、という"煽(あお)られた感覚"にも乗せられていた気もする。現代は個人に直接情報が届く時代なので、なお更、知ったファンは行くが、情報は横の不特定多数には広がりにくいかもしれない。
② 経済の低迷
長い間、経済が低迷している所に未曽有のコロナ禍、舞台公演のチケットまで手が出ないという人が多い。それは当然の事だろうし、だからこそ主催者もダンサーも厳しい状況にある。
③ 文化が根付いている国か?
これはかなり基本的な問題だと私は思うのだが・・・
私にはドイツ人の友人がいて十年程前、ドイツやオーストリーを廻った事がある。街のオペラハウスでは、オペラやクラシックコンサートやバレエが毎日の様に開かれていて、人々は日常の中のちょっとした非日常に出掛ける。それは若者がライブハウスで楽しむ様な感覚、そうでなければ、気軽に寄席にでも行く感じかな?
たといそれが小さな街でも、老夫婦が夕方になると、ドレスアップして腕を組み、楽しそうに劇場に向かう姿を見かけ、そんな時、やはり文化が深く日常の生活に根付いている事を感じた。日本の場合、老夫婦は大抵自分の子供や孫の発表会や公演を観る為に行く事が多いが、もっと大人の為の時間だ。小さな街の中に一つのオペラハウス、そこに通う日常の中にある文化。人とのつながり・・・いささか東京は広過ぎるのかなぁ?
勿論オーケストラが区とタイアップ、その街に根付いている、という活動もあるのだが。
少し長くなるがNewsweekから、モーゲスタン陽子氏の記事(2020.3.30)を抜粋しよう。
コロナ禍における、ドイツ文化相の発言についてである。
*予断を許さない異常な状況と先の見えない不安感のなかを生き抜くには、体の健康だけではなく、精神面での健康を保つことも大変重要だ
*ドイツの救済パッケージでとくに注目を集めているのが、フリーランサーや芸術家、個人業者への支援だ。モニカ・グリュッタース文化相は「アーティストは今、生命維持に必要不可欠な存在」と断言。大幅なサポートを約束した。
*「(前略)私たちは未来のために良いものを創造するあらゆる機会をつかむべきだ。そのため、次のことが言える。アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ。特に今は」と述べ、文化機関や文化施設を維持し、芸術や文化から生計を立てる人々の存在を確保することは、現在ドイツ政府の文化的政治的最優先事項であるとした
国のトップが「アーティストは今、生命維持に必要不可欠な存在」と断言してくれる、何と心強い事だろう。国の底力がそもそも違う?
6疑問と提案
観客の立場から、私からバレエ団への素朴な疑問がある。もっともこんな事を考えている観客は私位かもしれないが・・・
何で日本は幾つものバレエ団があり、それぞれが「私の所はこの演目でこの版で上演します。」「こちらはこの演目でこういう世界を繰り広げています、是非観にいらして下さい。」になるのだろう?と。勿論そのおかげで、各バレエ団によって「白鳥の湖」のプロローグの創り方に様々ある事も知ったし、曲の配置、振付、舞台美術にハッとさせられたり、効果的な手法に感心したりと、楽しませて頂いている。
ただもっと大きな「日本のバレエ」という視点で、何か新しい事をを立ち上げてくれる人はいないのだろうか?今ある考えを全く別の角度から見る、発想そのものを新しくする、というのは確かに大変な事には違いないのだが。
やや飛躍して現実的では無いかもしれないが、実は私はスポーツ観戦が好きで、中でもフィギュアスケートを観るのが好きだ。丁度これから始まる時期だが、日本選手権から世界選手権へ続くスリリングな展開。放映もあるので全国規模でフィギュア熱も高まり、荒川静香、羽生結弦選手の金メダリストが登場して人気は不動のものになった。昔の女子シングルはアメリカやカナダが強かった記憶がある。私はこちらの世界も素人ではあるが、古くは渡部絵美さん時代からTVを見ているので、そんなに簡単に日本のフィギュア界が此処まで来なかった事を少しはわかっているつもりだ。
「日本代表」「オリンピック代表」こういう具体的な目標があるから、国家規模で幼い頃から選手育成に取り組み、地道に改革を行って来た結果に繋がっている。トリプルアクセルで有名な伊藤みどりさんの頃は、この人がメダルを取れるか?にかかっている様な所があったが、それではその人が不調に陥ったらメダルはすり抜ける・・・それで複数のメダリスト候補を作る、つまり全体の水準をどんどん上げる事で、日本のシングルは本当に強くなって行った。
「競技じゃないんだ、それと話を一緒にするのはおかしい!」とお叱りを受けそうだが、もう一度話を元に戻すと、一般の人の心を揺さぶってバレエ公演に足を向かせるにはどうしたら良いか?という視点で見て欲しい。私はそれにはバレエ界でも「コンペティション的な仕掛け」を日本発で世界に向け発信するのも良いのではないか?と考えている。
具体的に言えば少々大胆な発想だが、ローザンヌの様な若手登竜門のコンクールがあるならば、もう少し経験を積んだダンサー達のコンクールを日本発でするとか。
正直、アートに点数を点けるという事は主観もあって難しい。フィギュアスケートはスピードスケートと違ってよくその判定に物議を醸しだした。ショパンコンクールだって然り。
審査員が何処を大事に考えているかで、結果も微妙になる。が、高いレベルで他者と本気で向かい合う姿は、それぞれの個性が浮き彫りになり感動する。結果よりそちらが大きい。
ただ、これだけ毎年ローザンヌで良い成績をあげる若手ダンサーが輩出される日本なのだ。上位に入り、留学を果たすまでは良いけれど、そのまま外国に?勿論それは素晴らしい事だし、本場で、より全てが磨かれるのだろうけれど、受け皿がいつも外国って何処か勿体無い。私達は長い間、間近で彼等を見れるチャンスがなかなか無い。そもそも日本に元より力強い、そういう才能を支える基盤があれば良いのにと思う。
サッカーは南米や欧州、アフリカの強豪国にはなかなか勝てないけれど、FIFAクラブワールドカップは日本のトヨタが長年支えている。そんな強力スポンサーが付き、メディアが入り、バレエ界を支えてくれたら嬉しいけど、やはり夢物語かな?!
7結び ~コロナ禍の現在、今後に向けて~
日常が普通に繰り返されている時は、あまりその幸せに気づかなかった。バレエの世界ならば、例えばこの時期になればこの行事をするという、幾つかの予定に基づいて行動していただろう。親子で楽しめるバレエのお祭り、生徒達の発表会、冬になればくるみ割り人形のコンサート・・・でも、コロナはそんな日常を狂わせた。そして今は先が全く見えない。
もしワクチンが出回り効果が出れば、いずれコロナ菌の話も遠い昔の話になるのかもしれない。スペイン風邪はそう遠くない100年程前の話で、しかも日本全土での死者は45万人だったそうだが、私達はそういう日本国中が大変な状況に陥るという危機感を全く感じていなかった。SARS,、MERSが近づいていたって何処か対岸の火事、これだけ日本の医療が発達していれば、そういう問題は解決出来ると過信していたかもしれない。
でも今、こうして在宅を中心に突き付けられた時間ー私自身も模索した1年になった。作曲は在宅で出来るので、以前と状況はあまり変わらない。でも今年は「創る」という作業はほとんど休み、受動的な事をやり続けた一年だった。昨年は自分の企画したバレエ公演を成し遂げるまでは前へ進む事だけを考え、他の事を一切考えなかったが、この1年は、バレエ以外の事にもとても目覚め、多くを気づかされた。その事も大事で、今後はもう少し自分の手の届く範囲での活動も大切にしたいと思っている。
きっと若いバレエダンサーをはじめとするバレエ関係者は、多くの不安を持ちながらも、今後、どうバレエの形が存在しうるのかを、一人一人模索しているに違いない。・・・多分、それは自分で考え、切り開くしかないだろう。自分自身で何かを起こしていくというのはエネルギーの要る事ではある。でも私達は、先の見えない事に一生懸命取り組んでいる若者や前を向こうとする人達の姿を見ると、何故か応援したくなる。
ダンサー始め、バレエに関わる人達がこの危機をチャンスに変え、何かムーヴメント、地道な一歩で良いから何か変革を起こしてくれたら、と願う。